国鉄分割民営化(こくてつぶんかつみんえいか)は、中曽根内閣が実施した行政改革である。 日本国有鉄道(国鉄)をjrとして、6つの地域別の「旅客鉄道会社」と1つの「貨物鉄道会社」などに分割し、民営化するもので、これらの会社は1987年(昭和62年)4月1日に発足した。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/09 12:51 UTC 版), 省庁再編により、文部大臣と科学技術庁長官は文部科学大臣に統合された。テンプレート中の科学技術庁長官は国務大臣としてのもの。, 所得倍増計画 - 農業基本法公布 - OECD加盟 - 東京オリンピック - 岸派分裂 - 財界四天王, 日韓基本条約 - 非核三原則(日米核持ち込み問題) - 公害国会 - 日本万国博覧会 - 沖縄返還(西山事件) - 佐藤派五奉行 - 黒い霧事件 - 日通事件, 日中国交正常化 - 日本列島改造論 - 第1次オイルショック - 第一次角福戦争 - 青嵐会結成 - 椎名裁定, 田園都市構想 - 総合安全保障構想 - 第2次オイルショック - ダグラス・グラマン事件 - 四十日抗争 - 第三次角福戦争 - ハプニング解散, 新保守主義 - 「戦後政治の総決算」(国鉄分割民営化ほか) - 二階堂擁立構想 - 死んだふり解散 - 創政会結成と田中派分裂 - 皇民党事件 - ニューリーダー(安竹宮)と中曽根裁定, 消費税導入 - 昭和天皇崩御 - 竹下派七奉行 - ネオ・ニューリーダー - リクルート事件, バブル景気 - 自衛隊初の海外派遣 - YKK - 一龍戦争 - 一六戦争 - 安倍派四天王分裂と三六戦争 - 海部おろし, バブル崩壊 - 東京佐川急便事件 - ゼネコン汚職 - KK戦争 - 経世会(金竹小)分裂 - 嘘つき解散, 自公連立政権 - 聖域なき構造改革 - 金融再生プログラム - 郵政民営化(郵政国会 - 郵政解散) - 年金未納問題(政治家の年金未納) - 小泉劇場(小泉旋風)と抵抗勢力 - 日歯連事件(日歯連闇献金事件) - 中二階と麻垣康三, 美しい国 - 憲法改正論議(国民投票法) - 防衛省昇格 - 教育基本法改正 - 価値観外交(自由と繁栄の弧) - 再チャレンジ - 年金記録問題 - フールファイブ - 大宏池会構想 - 参院選惨敗、第一党より転落 - 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社団法人全国地質調査業協会連合会 - 社団法人全国さく井協会 - 社団法人建設電気技術協会 - 日本下水コンポスト協会 - 社団法人全国道路標識・標示業協会 - 社団法人全国鐵構工業協会 - 社団法人日本建設躯体工事業団体連合会 - 社団法人日本塗装工業会 - 一般社団法人日本プレハブ駐車場工業会 - 社団法人不動産協会 - 全国不動産政治連盟 - 全日本不動産政治連盟 - 社団法人住宅生産団体連合会 - 全国生コンクリート工業組合連合会 - 軍恩連盟全国協議会 - 日本傷痍軍人会 - 社団法人日本郷友連盟, Weblioでは、統合型辞書検索のほかに、「類語辞典」や「英和・和英辞典」、「手話辞典」を利用することができます。辞書、類語辞典、英和・和英辞典、手話辞典は連動しており、それぞれの検索結果へのリンクが表示されます。また、解説記事の本文中では、Weblioに登録されている他のキーワードへのリンクが自動的に貼られます。解説文で登場した分からないキーワードや気になるキーワードは、1クリックで検索結果を表示することができます。, 戦史叢書の記録では、実際の沈没艦は潜水艦による輸送船1隻並びに米海軍駆逐艦による輸送船3隻・哨戒艇1隻で、船尾に被弾した輸送船は「朝日山丸」(死傷者約50名)、マカッサル海峡で沈んだ輸送船は空襲による「南阿丸」1隻であり、中曽根の回想からはやや乖離がある, 『終わりなき海軍』97ページでは「大きな波 黙祷の列の 足に来ぬ/戦友(とも)を焼く 鉄板をかつぎ 浜に出ぬ」, 河野一郎の没後に河野派を中曽根が引き継ぐことを進言したのは、当時1年生議員の渡辺である。, 二階堂はロッキード事件との関与が濃いとされながらも訴追されなかった「灰色高官」の一人とされ、金権政治批判を受けやすい立場にあった。, ただし、これは地価高騰抑制などの理由により、当初の債務返済計画通りには進まなかった。詳しくは該当項目参照のこと。, 一方で、「総理就任時、日米関係は最悪と呼べる状態だった」「自分(中曽根)が外交関係を改善した」という認識を強く持ち、公式発言でもたびたび重ねたことが、鈴木善幸をはじめとする, こうした背景やレーガンの歴史認識・過去の記憶を基に、「ロン・ヤス」は実態の無い関係であったと指摘されることも多く、これは同じくアメリカのプードル時代といわれた後年の「ジョージ・ジュン」の関係と比較しても歴然とした差が存在した。, 当時の党三役のうち幹事長・総務会長をそれぞれ竹下登・安倍晋太郎というポスト中曽根のニューリーダーが務めていたため、三役辞職により中曽根の早期退陣につなげるとともに、自らの時代を切り開く思惑があった。しかしこの辞任論に対しては、もうひとりのニューリーダーである宮沢喜一の母体の宏池会が猛反発し、実現に至らなかった。宮沢は当時蔵相だったため、売上税を巡っての政権の動揺は宮沢自身の責任論にも繋がりかねなかったためである。, 中曽根首相は1983年1月、韓国を訪れた。日程を順調に消化し、最大のヤマ場となる大統領官邸の大広間での晩餐会が始まった。大勢の来賓が招かれた中、全斗煥大統領の歓迎スピーチが終わり、次は中曽根首相の挨拶になった。来賓は、中曽根首相が日本の韓国統治についてどういう言葉で謝罪するのかに注目し、会場は水を打ったように静まり返った。首相はポケットから挨拶文を取り出し、ゆっくりと広げた。「ヨロブン、アンニョン ハシムニカ(ご来賓の皆さん、今晩は、, 日外アソシエーツ編『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』(日外アソシエーツ、2003年) 436頁、437頁、日外アソシエーツ編『新訂現代政治家事典―中央・地方の政治家4000人』(日外アソシエーツ、2005年) 377頁、378頁参照。, 「センベイかじって懇談 中曽根さん公約実行」『中國新聞』昭和45年1月22日 7面, 魚住昭 『渡邉恒雄 メディアと権力』p.

朝日新聞デジタル (2019年11月29日). 2020年9月25日(金)下記のニュースが流れました。 故・中曽根元首相の合同葬に予備費「約1億円」 高すぎる?内閣府「政府が適切に判断した」(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース 2019年11月に101歳で亡くなった中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬について、政府は20年9月25日の閣議で予備費 … 中曽根康弘首相の三公社民営化 日本で新自由主義に基づく政策を行った人物として有名なのが、1982年から87年まで在任した中曽根康弘首相です。 日本専売公社、日本電信電話公社、日本国有鉄道の三公社を民営化し、半官半民だった日本航空の完全民営化を進めました。 2019年12月20日 閲覧。 ^ a b c “中曽根元首相死去 佐賀県関係者も悼む声 「理想主義のリアリスト」”. 中曽根元首相が死去した。世間的にはロッキード事件やリクルート事件で逃げ切った「汚い政治家」というイメージが強いが、政治的な実績は大きい。特に国鉄と電電公社の民営化は、他の政権にはできない大事業だった。これはレーガン政権の「小さな政府」の日本版だが、「新自 copyright © 2019 SANKEI DIGITAL INC. All rights reserved. 中曽根 康弘(中曾根 康弘、なかそね やすひろ、1918年〈大正7年〉5月27日 - 2019年〈令和元年〉11月29日)は、日本の政治家。. 中曽根元首相死去:業績は「外交は満点・内政は零点」 / 中曽根元首相死去。「外交満点、内政零点」というのが私の評価である。外交については、フランス語、英語の両方ができてサミットでも主導権を取れた。 ただし、韓国に歴史認識問題で譲歩しすぎたのは汚点。 • 大胆な民営化の推進やpfi、ppp(メージャー政権、ブレア政権)の導入、規制緩和等で小さな 政府を指向 • その過程で、vfmの考え方による「成果の極大化」を意識した政策運営が指向 • 日本でも、中曽根政権期に臨調改革(第2次臨調)へと繋がる http://japanese.china.org.cn/jp/qshn/2008-04/15/content_14958112.htm, http://j.people.com.cn/2008/04/30/jp20080430_87546.html, https://www.j-cast.com/2009/12/16056359.html, http://japanese.joins.com/article/296/198296.html, https://www.asahi.com/articles/ASKDN2G9XKDNUHBI002.html, “日朝貿易へ「用意ある」 中曽根首相、中国に提起 韓国の国交樹立要望伝達 86年会談、外交文書”, https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24847300Q7A221C1EAF000/, http://www.47news.jp/CN/200405/CN2004052701003959.html, http://www.47news.jp/CN/200506/CN2005060701000874.html, 【約2100億円詐欺の疑いで逮捕】“マルチの有名人”ジャパンライフ・山口元会長と政治家たちとの“ズブズブな関係”, 死去の中曽根康弘氏、101年の生涯 青年将校から風見鶏、大勲位、そして「暮れてなお命の限り蝉しぐれ」の心境へ, 2001年、運輸大臣、建設大臣、国務大臣国土庁長官は国土交通大臣に統合された。長官は国務大臣としての長官を表記。, 「私が平記者、中曽根さんがまだ陣笠代議士の頃から、毎週土曜日には決まって読書会をして、良書を読みあさった。夜二人で酒を飲むときも、話題は読書の話、政治の話ばかりだった。あのような勉強家、読書家は他に知らない。小泉首相の時、勝手に国会議員定年制を作られ、国会議員を八十五歳で無理矢理引退させられた時は、本当に憤慨していた。質素な生活にも感銘していた。私にとって彼以上に敬愛した人物はいない」, 「いろいろ話をしたけれど、中曽根さんは全部、政治の話だ。彼と猥談をしてもダメ、興味ないんだよ。奥さん一筋で、二号さんを持たない政治家は、彼と安倍総理くらいのものじゃないかね(笑)。家族はとても仲良しだった。昔は、議員宿舎の8畳1間に親2人子供3人と女中さん1人の6人で暮らしていた。お金がないから料亭に行けなくて、夜、女中さん起こして、彼女の布団の上にお盆を置いて、その上に徳利を載せて飲んだ。そばじゃ子供がスヤスヤ寝てる。ある時、中曽根さんがベルサイユ宮殿のような豪華な所に引っ越したから来てくれ、というので行ってみたら、新しい議員宿舎で、8畳6畳4畳半と三つの部屋があった。それでベルサイユになっちゃうんだからな。それでいよいよ大臣になる時に『豪邸』を建てたという。行ってみたら建坪40坪ほどの普通の家だ。箱庭のような池があり、そこに金魚が4、5匹泳いでいた。お嬢さんによれば、中曽根さんは、政治家は小さな借家に住まなきゃいけないと言っていたそうだけどね。その後、総理になるという時には、, 「戦後の総理大臣の中で、中曽根総理は出色の総理大臣と言える。(中略)もちろん、中曽根首相にはペルシャ湾に自衛隊を派遣しそうになるなど、その体質からくる危なっかしさがある。しかし、彼は、政治家になって以来、(中略)政策を勉強し、蓄積していた。総理になったら何を実行するかを考えつづけていた。最近みられるような、『間に合わせ』の総理になる人たちとは違っていた」, 「宮澤(喜一)さんは真面目すぎるわな。頭が良すぎて先が見えすぎる。だから、やろうとすることに勢いがない。その点、中曽根さんというのは頭よくないですよ。それだけに、非常に馬力がある」, 「彼が語る改憲論には、必ず『国民が全員でしっかり議論して』という枕詞がついていた。現在の改憲論議は、与党を見ても野党を見ても、永田町内部での政争の具だとしか考えていないように思えます。そうした次元ではなく、『憲法は国民のものなんだ』という大前提を決して崩さず、その上で改憲を唱えていたのが、中曽根さんの改憲論の特徴です」, 「『風見鶏』という言葉はもっぱらネガティブな意味で使われていますが、言い換えれば『リアリスト』であったということです。自らの理想や信念があっても、それだけでは政治は動かせない。理想とリアリズムをうまく使い分けるのが政治の醍醐味です。そのバランスをうまく取れたからこそ、総理になり、国鉄や電電公社の民営化などの大きな政策を実現することもできた」, 上和田義彦 「田中(角栄)は天才と言われることを嫌う。努力して這い上がって来たと言われたい。中曽根は天才でなく秀才だ。努力して総理になった。ところが本人は天才と言われたい。秀才と言われると不機嫌になる。二人は何から何まで対照的だ」, 森和子 「最初に見たときから、背が高くて素敵な人だなと思いました。それに速記を担当しても、完璧なほど無駄な言葉がないんです。まだ20代なのに、優秀で感心しました。将来は必ず首相になると確信していました。みんな憧れていましたよ。私が速記者になって間もなくのころですが、同僚の男性速記者からすまなそうに『次の番、ちょっと代わってくれないかな』って頼まれたんです。私が『誰なの?』と聞いたら、『中曽根さんなんだよ』と困ったような顔で答えました。私は喜んで代わってあげましたが、難しい言葉がズバズバ出てくる中曽根さんは『難物』でもあったんです。でも、それが格好良かったんですよ」, 赤松年子 「20年代後半のころ、国会内の食堂で、女性速記者仲間と食事をしていたら、給仕さんがお盆に山盛りのミカンをテーブルに持ってきて、ぶっきらぼうに『ほれ、あっち、あっち』と目配せしたんです。奥の方で中曽根さんが『食べろ、食べろ』という風に口を動かして、ニコニコしながら手を振っていたんです。お互い顔見知りではありましたから、食堂に注文して届けてくれたんです。私たちは『中曽根さんからの差し入れだ!』なんて小躍りして、おいしくいただいた覚えがあります。いつも勇ましい発言をして、ちょっと怖い印象もあったけど、根は優しい人なんだな、と感激しました」, 李娜兀 「大学院生だったころ、中曽根氏に直接お会いしてお話をうかがったことがある。そのころ私は、, 国分俊英(共同通信社編集局長) 「長寿を全うした背景には酒とたばこがある。担当を離れていた時期でもメディア各社の記者とともに懇談する機会が多かった。あるときウイスキーの水割りが出された。すると、グラスの中に人さし指と中指を突っ込んで氷をかき出しはじめた。『どうしたんですか』と尋ねると『腹を冷やすのが体に一番よくないんだよ』。以後、中曽根氏の水割りはいつも氷抜きとなった。深酒は決してしなかった。特に首相の五年間は『自衛隊の最高指揮官だから』と、不測の事態が起こる場合に備えていた。中曽根氏の後に酒乱ぎみの首相もいたが、緊張感、心構えが全く違っていた。たばこは極端に嫌った。『朝駆け』(朝自宅に取材に訪れること)の際は、先着二人までが同乗して話を聞くことができた。『ハコ乗り』と称していた。あるとき同乗した某新聞社の記者が車内でたばこに火をつけた。中曽根氏は運転手に車を止めさせ、くだんの記者に『降りてください』と命じた。厳しい口調が示したように、たばこの煙とにおいに我慢できなかった。それほど健康に気づかっていた。碁、将棋はやらずマージャンなど賭け事には一切手を出さなかった。関心がなかったのだろう。女性との浮いた話もなかった。興味は政治だけだった。読書はよくしていた。読んで面白く参考になる本に出合うと記者に配ったりした。『勉強しなさい』という意味だったと思う。いまでも蔵書の中に『謹呈 中曽根』というサイン入りの本が何冊かある。中曽根氏は『大統領的首相』を公言し、安倍首相の官邸主導の源流を作ったといわれる。だが、その前提として、中曽根氏は異論をよく聞いた。中曽根氏が住んでいた首相公邸に夜、実力政治家がひそかに訪れていた。新聞の, 「家の中にいても、祖父は常に背筋が伸びてピシっとしている人でした。もちろん『おじいちゃん』の表情もありましたが、『大きな志を持った一人の大人』というオーラが出ていたから、孫ながらに圧倒されるような感覚がありました」, 「初当選後、祖父に挨拶に行き、『おかげさまで当選したよ』と報告しました。普通なら最初から笑顔で迎えますよね。けれど祖父からは開口一番に『歴史を勉強しなさい、浮かれてる場合じゃない』と厳しい目で言われました」, 「家庭内でも、祖父は常に背筋を伸ばして、無駄な時間を一切過ごしませんでした。総理大臣になっても忙殺されずに、本を読み、勉強していた。さらに、毎週末には寺で座禅を組んだり、水泳にも行ったりして、自分一人になって考える時間を作っていました」, 「知識を吸収することが好きだった。私もあれほど勉強する人は見たことないですね。年齢に関係なく、いろんな人の意見を聞くのが大好きでした。大学時代には、祖父から『ゼミのメンバーを集めろ』と言われました。『いまの若者が何を考えているのかを聞きたいから、お昼にカレーライスを食べながら意見交換をしよう』と。総理大臣経験者で当時80歳くらいの祖父が、20歳の学生の意見をテープレコーダーで録音しながら、メモを取りながら聞いていたのです。この姿勢はすごいと思いましたし、祖父の知識欲からきている行動なのでしょう」, 「祖父は常々『自分の身体に国家がある』と述べていました。これは、戦争で部下や弟を失い、焼け野原を見るという強烈な体験から、この祖国を復興しなければいけないと感じていたためです。それから政治家を志し、強い意志があったからこその発言だと思います。だから死ぬ直前まで『国が苦しいと、自分も苦しい』とよく言っていました。群馬の材木屋の次男で、政治には関わりのなかった祖父は、自分の志ひとつで政治家になりました。28歳から総理大臣になると決めていたそうですよ。小派閥を率いる中で『風見鶏』だと批判を受けていましたが、総理になるには『風を読むこと』が必要であることも、よく理解しており、徳富蘇峰の『大局さえ見失わなければ大いに妥協してよい』がモットーでした」, 「結婚詐欺にあったようなものでした。役人と結婚したら平穏な生活ができると思って嫁に来たのに、途中で何一つ相談なしで勝手に役人を辞めちゃって。結局、選挙ばかりやらされることになりました」, 「私の写真を、いつも内ポケットに入れていたそうですよ。最初の妊娠をしたときも私が酸っぱいものを欲しがるので、あるときなど、主人は会議に出た夏ミカンを食べたふりをしてそっとポケットに入れ、持って来てくれたこともあったのです」. 2018年5月27日、中曽根康弘元総理が100歳を迎えました。 これに先立ち、中曽根元総理は「大正、昭和、平成の3つの時代を生き、明年には新たな元号も始まる。4代を生きることに誠に深い感慨を覚える」とのコメントを発表しました。



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